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第七話 作者冥利に尽きる
「ただいま戻りました」
「チュン、お帰りなさい」
「チュンさんお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「チュンさーん。使ったエプロン。洗濯乾燥機ちょーど今から回すとこだから洗うなら入れちゃって」
「あ、キタさん。ありがとうございます」
────
使用した道具を片付けて明日の準備を整えたらちょうどいい時間だ。
「さ、みんなお疲れ様ー。タイムカード押して帰った帰った。ほら、チュンも。何してんのよ」
「あ、所長。あとちょっとだけ。調べたいことがありまして……」
「明日にしなさい。帰ってから家で仕事しようとか思わないことね! アンタはそれでなくてもよく働くんだから、家帰ったら休まなきゃだめよ。分かった?」
「はい」
(とは言え、今やらないと忘れそうです。何かにメモしておきますか……)
紅中は調べようとしたことをレシートの裏に走り書きでメモした。
『イノウエ順子のマージャン』
「ほらほら、何してんの。帰るんだよ。シロ子も。いつまで包丁研いでるんだい。帰りなさい」
「はいよ。もう終わるから」
「すいません。それでは、私はお先に失礼します。お疲れ様です」
「チュン、お疲れ様」
シロ子というのは『白田雪子』という家政婦だ。基本的にこの事務所専属の事務員的存在で、稼ぎに出るより新人家政婦に仕事を教える研修係を担当してる事が多い。とくに料理が得意でアズマのキッチン担当責任者とも言える。
(明日、お料理もしてあげたいですね。まあ、得意分野ではないのですが、とは言えできないわけでもありませんし。普段はご主人様がお料理されてるのかしら? 洗濯機さえ回せなかったご主人様がお料理を? あまり考えにくいですね、でも買い物は基本的にご主人様がやっているようでした、あくまで士郎さんは『おつかい』っていう風に行かれましたし。基本的な買い物をご主人様が行い、士郎さんがお料理をやっているとか? あり得る……。出前のゴミは見当たりませんでしたから料理はしてるはず。明日聞いてみますか)
――翌日。
「こんにちは。紅中です。本日もよろしくお願いいたします」
『チュンさん。お待ちしてました』
ガチャ
「失礼します。ご主人様、本日もよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
(さて、予定通りまずは2階の廊下と階段の清掃を行いましょう)
「宏さんはお部屋でしょうか。今日は2階の廊下掃除から始めますので、少しバタバタしますが大丈夫でしょうかね?」
「平気平気、兄ちゃん多分いまヘッドホンしてるから」
「ヘッドホン?」
「ゲーム中だからさ。廊下でバタバタしても気付かないよ」
「それは好都合ですね。では、仕事を始めます。あ、これ4巻です。どうぞ」
「やったー。お父さん。僕から先に読んでいい?」
「まあ、いいけど早くな」
「ありがとう!」
(ふふ、自分の漫画が取り合いになるなんて作者冥利に尽きますね)
29.サイドストーリー1イノウエ順子短編集その1世界は君の思い通り 後編 しばらくネネコのいない生活が続いた。家に帰ると近所にいるはずだがタイミングは合わずにいた。 しかし、高3になると驚いたことにネネコが新一年生代表として入学してきた。バカな。ネネコの偏差値ならこんな平凡な学校には来るわけない。あいつはアタマいいんだから。 嬉しいよりも不思議だった。「なんでこんな学校きてんの」「別にいーでしょー」◆◇◆◇ それからの生活はまたいつものネネコと一緒なおれになってた。帰宅部なおれは帰りこそ1人なはずだが、なぜかネネコも一緒に帰る日が多かった。「ネネコ、部活は?」「今日は休み。料理研究会は活動回数週に3回とか2回だから」「お前、運動神経いいのに運動部行かなかったのか」「運動するよりお料理美味しいの作れるようになる方が価値あることだと思うのよね」「……なるほど、それはそうかもな。メシは死ぬまで食うし」 そんな他愛もないことを話してる毎日だった気がする。ネネコは必要のない化粧をやりはじめた頃ですっぴんの方がキレイだけどなと思いつつ「変な化粧。いらなくね?」と素っ気なさすぎる方法でそれを伝えたが怒られただけだった。それもそうか。これはおれが悪いな。ネネコなりに頑張ってたはずなんだ。なんでそれを汲み取ってやれなかったんだろうな。 ある日、帰り際に料理研究会に今から行こうというネネコとばったり廊下で会った。「あっ、てっちゃん今から帰るとこ? そしたらこれついでに下駄箱に入れてきてよ」「なにコレ」「先輩に
28.サイドストーリー1イノウエ順子短編集その1世界は君の思い通り 前編 おれは母を失ってから毎日のように母親の書いた小説を読んでいた。とくに好きなのは『イノウエ順子短編集』の中にある『世界は君の思い通り』という短い物語だ。この話は短い文であるが、快活な女子の明るさが伝わる、母らしい作品で、それを家政婦の紅中も好きだと言った時はなんだか親しみが湧いた。「また読むか……」◎世界は君の思い通り著:イノウエ順子 北山寧々子(きたやまねねこ)はおれの幼馴染みで、2つ年上のはずのおれはなぜかいつもネネコの言いなりになってる。 小学校の時くらいはまあ良かった。別に一緒にいることは不思議なことじゃない。ご近所さんなんだから毎日一緒に学校に行くのは当たり前だ。下校時刻は違うから帰りは別々だったが、朝は毎日一緒だった。 中学生になっても小学校と中学校が近いためほぼ同時に家を出る。中学は小学校の少し先だからおれは数分早く家を出るようにしたが、なぜかその時間に合わせてネネコはおれンちの前で待機してた。「てっちゃんおっはよ! じゃーいこか」とカラッとした笑顔を見せる。 おれも別にその笑顔が見れることを嬉しいとか、ドキドキするとかはまるでなくて当たり前のことが目の前にあるだけという認識で少しも微笑まずに「ああ、おはよう。じゃ、行くか」としか言わなかった。「ネーネー、てっちゃん。中学って楽しいー?」「ん……どうだろう。知らない人も多いし緊張するよ。つまらないとかはないけど、勉強は難しくなるし制服は首が痛いしであまり好きじゃねえな」 おれやネネコの小学校は小さい学校で中学にあがると隣の大きな小学校
27.第九話 ノーレート東風戦 次の土曜日。最近では紅中の井之上家での仕事は決まってきており、土曜日は溜まっている家事をして時間があったら麻雀を一回。日曜日は軽く掃除したら終わりで残りの時間は麻雀をする。そういう流れだった。「……よし! 終わりました。っと、今日は時間がなくなっちゃいましたね。麻雀は明日のお楽しみにしておきましょうか」「えー! ヤダヤダ。一回やろうよ!」「士郎。ワガママ言うな。延長料金は安くないんだぞ。麻雀やりたくて延長料金払いましたとかいうのはおかしいだろ」「確かに……でも、やりたいんだもん! 兄ちゃんだって麻雀したいだろ? ノーレートの東風戦でいいからさ!」「東風戦……ですか」(東風戦は正直、好きじゃないんですよね。楽しくないといいますか) そう、接待麻雀専門家の紅中にとって東風戦は楽しく打てない麻雀だ。なぜなら半荘戦なら東場は多少アガリもして差し込み用に点数を蓄える時期というのがあってもいいが東風戦だと後半戦しかないのと同じである。それはどういうことか。つまり、接待麻雀師としては遊べる局が1つもないということ。 素人は勘違いしがちだが東風戦は東1局東2局が前半戦というわけではない。東風戦には後半戦しかないという考え方が正解である。つまりスタート時点で既にクライマックスのような緊張感が必要になってくる。(とは言え、士郎さんがこんなにやりたがっているし、特別に今日は付き合うことにしましょうか)「わかりました。それではノーレート東風戦一回勝負をやりましょうか」「やったーー! ありがとう、チュンさん!」 そう言うと士郎は急いで準備をした。(東風戦でいつもの接待麻雀をするとつまらない
26.第八話 夫を立てる妻 カーー カーー 気付いたら日が暮れていた。(あれ?! もうこんな時間ですか!) 気づいたら紅中はほとんど丸一日部屋にこもってイノウエ順子の長編小説『サハラ』を読みふけっていた。ぐぅ~(お腹がすきましたぁ。喉も乾きましたし。……ずいぶん長い事頭を使った気がします。しかしこれはすごい。なんて面白い物語! まるで自分が対局してるような感覚になりますね。作中で対局が始まると一緒になって考えたくなってしまうのでなかなか先に進めません。私の描く漫画も体験型の麻雀漫画ではありますが、イノウエ順子さんのそれは次元が違いますね。さすがはプロの作家です。お腹は空きましたが、もうあと数ページで終わりなので読んでしまいますか)「……ふぅ、読了っと」(すごいものを読んでしまいました。やはり、イノウエ順子さんは評判通りの雀豪ですね。これで麻雀が弱いわけがない)「ご主人様は知らないのでしょうか……」(知らないのだとしたら、とんでもなく立派な『妻』だったのでは? つまり、自分の夫を立てることに徹底していた。おそらく、学生時代は本気でやっていたんでしょう。しかし、次第に奥さまは麻雀が上手になってきて、教えてくれた方より強くなったのではないでしょうか。そうなると教えてたほうは面白くない。自分の弟子だと思っていた子が自分より強くなってしまったなんてのはプライドが傷つくこと。そう考えたのではないか)「仕事のできる良い奥さまだったんでしょうね……出来すぎて家族が家事を覚えなかったのは問題あ
25.第七話 手加減 井之上士郎は母が生前獲ってきた麻雀大会準優勝の盾を眺めていた。「ねえ、兄ちゃん。お母さんって麻雀強かったっけ」「ん……おれたちとやる家族麻雀では勝ったとこ見たことないかもな。それが?」「いや、だって準優勝してるからさー。不思議だなーって」「そういうもんだろ。麻雀なんて」「それはそうだけど……」 たしかに、麻雀はそういうもの。という宏の言う事も一理あった。どんなトッププロと呼ばれる麻雀打ちでも勝ち続けるなどは不可能であり、それが麻雀である。 しかし、士郎はこうも思っていた。どんな打ち手であれ、負け続けるというのは不可能ではないだろうかと。勝ち続けることが不可能であると同時に負け続けることも不可能であるはずで。しかし、母の勝った所は見たことが無く、だが麻雀大会準優勝の盾が目の前にある。この不自然さに士郎は気付いたのだ。(やっぱり、なんか変だ) 士郎は母の麻雀が不自然な結果であったことを今になってやっと気づいた。当時小学生だった自分は母におそらく手加減されていたのだ。(僕の予想でしかないけど、多分お母さんは手を抜いてたんだな) ここまで考えが至った時に、とある直感が士郎にあった。それはチュンのことである。(まてよ、チュンさんももしかして……?) チュンは非常に高度な麻雀戦術を書く漫画家だ。その戦術は全てチュンのオリジナルであり、度肝を抜く新発想なのである。(あれを書いた作者が自分ら素人に負けるのは……これも不自然ではないだろうか?) まだ回数は少な
24.第六話 ギャル雀が家政婦派遣になるまで「『ギャル雀いそこ』か。懐かしいね」 ギャル雀とは2008年〜2012年頃に流行った雀荘の経営モデルである。具体的には本走スタッフに若い女性を採用するというもの。やってることはそれだけだが、麻雀というのは至近距離で4人集まり長時間同じゲームをやる行為である。そこに若い女性が参加すればどうなるか、説明する必要などないだろう。『いそこ』もその時期に流行り乗った雀荘であった。いそこは当時の上野周辺で一番流行った雀荘だったかもしれない。「ギャル雀ブームが下火になろうとも、いそこだけは売り上げをそれほど 落とすこともなく何年も黒字営業を続けたんだけどねえ」 しかし、巨大商業施設の建設計画を受けて2000万円で立ち退きを迫られ、あえなく閉店。「居抜きで入れる店舗があれば良かったんだけど、なかなかね……」 次に行くちょうどいい箱も結局見つからなかったのでこの際雀荘をやめて全く別の仕事を始めてみようかと思いついたのである。それが、家政婦派遣だったということだ。 『いそこ』という店名の由来はオーナーである『鳳聖子(おおとりせいこ)』の学生時代のあだ名から(索子の1。つまりイーソーは鳳凰の絵柄が彫られており『イソコ』と呼ぶ人もいる)で、鳳聖子はギャル雀をオープンさせるにあたり自分同様、麻雀関連の名を持つ同級生の東正美(あずままさみ)に声をかけてみた。牌仲間って事でなんか面白いかなっていうだけの理由であった。 すると不思議なことにその後募集したスタッフの名前で南西北白中が揃い、発以外の字牌がいつの間にか全種揃ったのである。 南は片岡南(かたおかみなみ)通称ミナミ 西は西城彩芽(さいじょうあやめ)通称ニシ 北は堀北雅(ほりきたみやび)通称キタさん 白は白田雪子(しろたゆきこ)通称シロ子 そして、中は真中紅子(まなかべにこ)通称ホンチュン である。 不思議な偶然だった。だが、いくらなんでも発は揃わない。発のつく名前なんか聞いたことがないから諦めていた。 そんな時にふと紅中が「そういえば私、同級生に発の子がいますよ。中学生の頃からの友達で『いそこ』にも遊びに来たことある子です」と言い声をかけたのがリュウハだった。 その時はもう雀荘いそこは閉店の準備をしていてアズマ家政婦派遣事務所をオープンさせるのでオープニングス